日本有数の池上曽根遺跡 約1000人が暮らした弥生集落 若一調査隊
池上曽根遺跡
環濠集落と呼ばれる堀で囲まれた集落の遺跡
総面積60万㎡ 東京ドーム13個分
川の水を引いた堀の中で1000人以上が生活していた環濠集落
弥生時代の遺跡といえば
静岡県:登呂遺跡(住居や井戸を発掘)
佐賀県:吉野ケ里遺跡(大規模な環濠集落)
山口県:土居ヶ浜遺跡(海岸で数百の遺骨が見つかる)
1976年に国の史跡に指定された池上曽根遺
1995年に大発見があった。
池上曽根遺跡の大発見「いずみの高殿」
いずみの高殿(高床式・大型堀立柱建物)
建造物としては弥生時代の最大級のもので2000年前に建てられたもの
柱が腐らずに出土。
和泉市教育委員会・文化遺産活用課(上田裕人さん)の話
80畳ほどの大きさでお祀りなどに使われていた建物と思われる。
集落のシンボル的な存在
池上曽根遺跡の大発見「やよいの大井戸」
やよいの大井戸(大型くりぬき井戸)
1本のクスノキの丸太をくりぬいて井戸の枠(井筒)にしている。
発見された時にまだ水がわいていたそうです。
日本最大級
井戸の用途は、飲み水ではなく クスノキの枠から
樟脳:強く刺すような樹脂系の香りがあり香料や殺虫剤、医薬品などに用いられていたと考えられる。
いずみの高殿付近にあることから
儀式の祭祀などに使われていた。
付近に建物が数軒見つかっていて金属器・農耕具・漁具を作成していた形跡がある。
そのため工業用水の可能性もある。
池上曽根遺跡の大発見「年輪年代法」
発掘された柱の年輪年代王で分析
年輪年代法
樹木の年輪パターンを分析することで年代を科学的に決定する方法
紀元前52年に伐採されたという事がわかる。
柱の穴から出てきた土器が弥生時代中期後半と考えられていたが約100年古くなった。
弥生時代の土器で年代を特定していたが年輪年代法で詳細に年代を特定
弥生時代中期とされていた年代が100年さかのぼることになった。
時代の定義自体見直すことに
150年後⇒紀元前52年
(朝日新聞 1996年4月27日付の新聞に掲載)
弥生時代を見直さなければならない!?
池上曽根遺跡の”謎”「稲作」
環濠集落で水も豊富で稲作がされていた可能性がありそうだが田んぼは見つかっていない。
池上曽根遺跡の”謎”「祭祀場」
サヌカイトや石器を埋葬していた跡が発見されている。
サヌカイト
讃岐地方(香川県)で最も産出することから讃岐石(サヌカイト)と呼ばれる岩
古代から石器や刃物として使用されていた。
なぜ埋葬されていたかは不明
「竪穴住居(方形)」
この辺りから100基以上 発見
環濠の中から人糞を食べるような虫も見つかっている。
「大阪府立弥生文化博物館」
住所:大阪府和泉市池上町4丁目8−27
入場料:一般300円
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/
弥生人の子供の足跡も見つかっている。
お箸は、まだ使っていないが熱に強い土器をつかっえちたため魚や貝などを調理して食べていた可能性がある。
タコつぼも見つかっていて海産物も食べていたと考えられる。
弥生後期
邪馬台国の女王・卑弥呼
卑弥呼が来ている衣装は、交友のあった魏から贈られた衣装
染料から推定
魏から贈られた銅鏡を持ち衣装を着けることで義を後ろ盾に自分の力を誇示していたと思われる。
貫頭衣(かんとうい) 弥生時代の一般的な衣服
1903年 石の矢じりを発見したことが遺跡発見のはじまり。
弥生時代の布も見つかっている。
【池上曽根史跡公園】
住所:大阪府和泉市池上町15
営業時間:10時00分~17時00分
入館料:無料
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)
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