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大阪地下鉄ミステリー 地下に広がる路線に潜む謎 ビーバップ・ハイヒール

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大阪地下鉄ミステリー 地下に広がる路線に潜む謎 ビーバップ・ハイヒール

Osaka Metro 年間利用者 と関西私鉄5社より圧倒的に多い
M 御堂筋線、T 谷町線、Y 四つ橋線、C 中央線、S 千日前線、K 堺筋線、N 長堀鶴見緑地線、I 今里筋線、P 南港ポートタウン線
市営地下鉄 2018年4月 民営化

大阪地下鉄ミステリー 御堂筋線 梅田駅

「百葉箱!?」

地下鉄になくてなくては入らない 必要な不可欠の物
地下鉄は、構造上車両から出る熱がトンエル内にこもるためシビアな温度管理が必要です。

温度を測るのにある問題が・・・
列車親友時に強い列車風が吹くためむき出しの計測器では正確なデータが取れないため百葉箱を使用しています。

淀屋橋駅 8月平均温度
1935年:23℃ 1960年:33℃ 蒸し風呂だった駅のホーム
当時の市営地下鉄は、東京の地かk鉄よりも早く全駅冷房化

仕切られたホーム

1日44万人が利用する御堂筋線梅田 ホームの大きさ関西一
1番線 なかもず行き 2番線 千里中央行き
壁で仕切られ通路を通らなくてはならない仕組みになっている。

梅田駅は、開業から平成元年まで壁など存在しない普通のホームでした。
1970年代に梅田の発展と共に人が溢れすぎホームに落ちる危険性が出てきたため
駅ホームを広げて隣に通っていたでっかいトンネルを使用し駅を拡張した。

そのトンネルは 谷町線の梅田駅を作る予定で掘られたトンエルでした。
当初、御堂筋線と谷町線の乗り換え可能のはずだったのですが、梅田駅辺りは地盤が弱くトンエルが崩壊
計灰汁されていた谷間四川の梅田駅は、未完成のまま梅田のに入れは中断されました。
そのため現在ルート、東梅田駅を通る路線になった。

平成元年 そのトンネルを使用しホームを9mから 24mに拡大された。

大阪地下鉄ミステリー 中途半端な終着駅

中津駅 終着駅

1日 利用者数 103万人が利用する御堂筋線
平日、朝夕の通勤ラッシュ時間帯は、特に多い梅田~天王寺区間だけ通常時の倍に本数を増やしています。

それを可能にしているのが折り返し運転
終点駅まで行かずに利用者の多い区間だけを折り返しさせて運転して本数を増やしている。
折り返し設備のある駅が新大阪
梅田は土地が高く折り返し設備をおくスペースがないため中津行の電車が存在する。

新金岡駅 終着駅

折り返し駅があるポイントではなく、広さ100000㎡ 甲子園球場3個分の広大な中百舌鳥検車場に向かう為

この車庫の収納スペースは、40本

他 車庫行きの中途半端な行先
中央線 森ノ宮行き
四ツ橋線 北加賀谷行き
長堀鶴見緑地域線 横堤行き など

大阪地下鉄ミステリー 「喜連瓜破」難読駅

喜連瓜破駅

谷町線 喜連瓜破駅 長居公園通りの真下にある駅

1980年駅建設にあたり、喜連2丁目で”喜連駅」の予定でしたが
喜連と瓜破の間を通ることから、喜連は摂津の國に属し、瓜破は河内國に属していて国境だったため。
どちらも譲らず 折衷案でつなげることに…

西中島南方駅

淀川のすぐ北側の位置する駅

当初から隣になった阪急南方駅にならい”南方駅”にする予定でした。
西中島の市域に属するため西中島の住民が反対

結果、西中島と南方の地名を合体した駅名に変更
そのほか、関目高殿・千林大宮・太子橋今市・四天王寺前夕陽ヶ丘・野江内代・駒川中野など

大阪地下鉄ミステリー 壁にかかれた暗号

四ツ橋線 四ツ橋駅


など 同じような暗号がいくつもある。
かつてこのあたりには、長堀川、西横堀川が交差し四つの橋が架けられていたことで四ツ橋となった。

吉野屋橋・上繁橋・下繁橋・炭屋橋 それぞれが大阪の商業を発展させた大阪の名所でした。
その後道路拡張のため川は埋められ1970年までには橋は全て撤去されました。

それぞれ、4つの橋の名前がひらがなで暗号化されて書かれています。

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大阪の未来を見た男 第7代市長 関一

昭和8年 大阪市営地下鉄開業

ドイツで都市計画や社会政策を学び東京の大学で講師をしていた街づくりのスペシャリスト
第7代 大阪市長 関一

当時の大阪は、 大大阪時代と言われ町は活気づき 人口東京より多い200万人
関東大震災で東京からの移住者が続出し人口増を危ぶいていた。

都市大改造計画
当時、幅5.4mの御堂筋を8倍の巨大道路への拡大工事し交通のかなめにすること
そして御堂筋の下に地下鉄を通すというもの

大阪が100年後も栄える街にするために市が作らなくてはならない!

当時、東京の地下鉄工事も盛んに行われていたが公営ではなかった。
ヨーロッパで都市計画を並んだ関は、公営の地下鉄が都市の発展に欠かせないものであると確信していた。

予算もなく、流通のかなめとなる道路建設はともかく、莫大の費用がかかる地下鉄建設に政府も予算を与えてはくれない。

路面電車・・・地下鉄ではなく地下を通る路面電車!「軌道法」
路面電車の麹は道路工事の一環みなされていたので御堂筋の下に路面電車を走らすことで道路工事の一環とみなさせた。
予算確保ができ、道路の下に通すので特別に土地を確保する必要もない画期的なアイデアだった。

現在のような掘削技術あるわけでもな苦情問題も出てきた。

糀から3年後 梅田=淀屋橋=本町=心斎橋間が完成
1両編成にもかかわらず駅のホームは、12両編成の巨大なものだった。
のちのち増えることを予想し 駅のホームは大きく作っていた。
それぞれの駅の区別をしやすくするために照明の形をそれぞれ変えていた。

現在10両編成

列車を運ぶのにトレーラーは使わず、人力と牛などで雇用対策もし、広告にもなっていた。

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