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マトリョーシカ アロハシャツ  意外なルーツは日本あるものからだった!? 伝統の裏に隠された㊙

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意外 マトリョーシカ アロハシャツの伝統からくるルーツ

マトリョーシカ

世界最大の領土を持つロシア、古くから音楽やバレエが盛んで舞台芸術の国ともいわれている。
そんなロシアのお土産としておなじみなのがマトリョーシカ
伝統的な入れ子の人形として世界中に知れ渡っている。

19世紀後半のことロシアの鉄道王を夫に持つマモントフ夫人はある悩みを抱えていた。
数年後に開かれるパリ万国博覧会へ出展するロシアならではの民芸品を決めかねていた。
当時ロシアは、急速に産業が進歩していた。
しかしイギリスやフランスから遅れていたためになんとか自国の文化をアピールする必要があった。

そんな中彼女は日本とロシアの友好を図るため日本の箱根を訪れる。
その時入った土産物店で・・・あるものを買った。
帰国後、マモントフ夫人は、お抱えの木工職人に人形を見せ同じようなものを作るよう指示
木工職人は、試行錯誤を繰り返して作ったのがマトリョーシカ

ロシアの民芸品としてパリ万博に出展されたマトリョーシカは評判を呼び見事銅賞を獲得
ロシアの名産品として世界中に知られるようになった。

そのルーツとなった日本の人形が箱根に伝わる伝統工芸品 入れ子の七福神人形だった。
ロシア伝統の民芸品と思われているマトリョーシカ、しかし元は、日本の伝統工芸品からだった。

アロハシャツ

世界屈指のリゾート地・ハワイ この常夏の楽園にも日本人とゆかりの深い伝統が息づいている。

1885年国策としてハワイのサトウキビ畑の開拓のため日本人の移住が始まり
その年から15年ほどの間に22万人もの人がハワイに移り住んだ。

移住は「3年で400万円稼げる」といううたい文句で募集
だがその実態は人身売買に近く労働は過酷 賃金もろくにもらえず着るものにも困るものだった。

それでも勤勉で節約家の日本人 ボロボロ着物を修繕して着ていた。
そこで、移住者の1人でもあるシャツの仕立て職人・宮本長太郎
彼は、着物として用を足さなくなったものをシャツに仕立て直すシャツ仕立てに

そうアロハシャツ この時宮本が考案したものだった。
派手なデザインはもともと着物の柄だったから・・・
これがクチコミで広がり彼は。アロハシャツとして和柄のシャツを仕立てる店を
1904年にオープン
観光客はもちろん現地のハワイアンの間でも評判に!

アロハシャツは、いつしかハワイの正装として認知されていった。
世界中から愛され続けているハワイの伝統アロハシャツは、かつて日本人が作ったものでした。

海外の伝統にも知られざる歴史と思惑が隠されている・・・

ムサシヤという宮本さんのお店は、息子さんが継いで1970年にはもうなくなってるみたいで、
後は、ご存知の通り…ビンテージ アロハとして高価で取引されていますね!?

 

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逆に海外がルーツだった意外な日本の伝統 お手玉&けん玉

お手玉・・・

4000年前 エジプトのレリーフに書かれていた「日本の伝統」

お手玉・・・
エジプトから世界に広がったといわれているそうで・・・
日本でもしらぬまに伝統に・・・奈良時代
もともとは羊のかかとの骨をつかっていたとか・・・

けん玉・・・

16世紀フランスの版画に描かれた「日本の伝統」とは・・・

けん玉・・・日本に来たのは、江戸時代後期
フランスではビルボケと呼ばれ今とは違い横の皿がなく穴だけ
大正時代になって今の日月ボールっていう両側に載せるところがるやつになった。
それは、日本の発明なんです。

基本的には 作家 藤井青銅さんのお話です。

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