平安神宮は平安時代から? 意外過ぎるルーツ 伝統の裏には・・・? なんで正座、万歳するの? そんな意外な伝統の始まり・・・

意外過ぎる㊙ルーツ

平安神宮は平安時代から?

平安神宮は・・・平安時代からだから平安?
これ、思い込みというか・・・だまされた気分ですね勝手に勘違いして・・・

平安神宮が出来たのは・・・明治時代から

でも、千年の歴史を誇る京都人の意地が隠されている・・・?

明治2年 政府が京都から東京に移転
明治の初め突然都が東京に移されることになった京都
宮中御用達の老舗も次々と東京に拠点を移し人口は激減、経済も落ち込んでいった。

このままでは・・・第二の奈良になってしまう 「第二の奈良になるな!」が合言葉

京都府は京都を元気にしようと大きなイベントを企画して
この時そのシンボルとして平安神宮を造ることになった。
明治28年 平安遷都千百年記念祭

大きな神社を作るには莫大なお金が必要になります。
仮に政府からお金を出してもらったら 後で何を言われるかわかりません。
そこで、国に頼らずに建築費を すべて寄付で捻出
歴史は、浅くも・・・京都人の意地と低力が・・・隠されている。

 

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意外過ぎる㊙ルーツ その2

畳で正座するほうが礼儀正しい!?

正座は、日本の古くからある伝統!?
これも、思い込み・・・

昔の日本人は、正座なんてしなかった?

古来正座は、神や仏を拝む時など神聖な儀式だけで行われていた特別な作法でした。
平安時代の装束を見てみても下半身部分は大きくゆったりと作られている。
これは正座ではなくあぐらを組むことを前提に作られたもの
日常の礼儀としてはあぐらで座ることが正式なものだった。

もともとがあぐらが伝統的な座り方だったのに
なぜ? 正座になったか・・・

そこには、江戸幕府の威厳が隠されているそうです。

参勤交代が始まった江戸時代初期
大名たちは江戸城内での作法として正座をすることを強いられました。
将軍と対面する時彼らに正座させることで将軍を神や仏のように神格化 徳川への忠誠心を植え付けた。
これが礼儀として各大名の領土へ拡散、やがて庶民へと普及した。

何故、万歳するの!?

おめでたい時とか嬉しいときになぜ、万歳するの!?
伝統じゃないんでしょうか・・・思い込み?

万歳は、海外の習慣をまねたもの
万歳に隠された明治政府の思惑。

本来、日本には正式な儀式で声をそろえて歓喜する言葉はなかった。
しかし、明治22年 大日本帝国憲法発布にあわせ明治天皇が観兵式に臨むことに

「敬礼だけでもは物足りない」と・・・
外国のように歓喜の声をあげてみてはと提案

フランスでは 「ヴィヴ!ラ!フランス!」
イギリスでは 「セーヴ!ザ!キング!」とさけぶ。

「万歳 万歳 万々歳」
「万歳」とは古くから長寿や末永い繁栄を意味する言葉

そして、明治天皇に向かって人々は初めて万歳を三唱することになったのですが
その大きな声に馬が驚き立ち止まってしまって、そのため2度目の「万歳」は小声に・・・

最後の「万々歳」は言えずに終わってしまったためとか?

以後「万々歳」は省略され「万歳」だけが使われるようになって「万歳」だけ三唱するようになった。

あぶらとり紙のルーツ

古くから舞妓や芸子が活躍する京都 彼女たちの必需品の1つがあぶらとり紙
京都の伝統的な土産物と思い込んでいる方も多い?
でも・・・意外なルーツが

大正から昭和にかけて多くの映画撮影が行われてきた京都
しかしフィルムの感度が悪い当時の撮影現場では役者が大量のライトを浴びると
どうしても顔に脂が浮いてしまう。

要請を受けたのは化粧品の製造販売をしていた國枝茂夫
さまざまな紙で試行錯誤を繰り返した。

良く取れたのが、ふすま職人が使う和紙 金をたたいて延ばす時に挟む金箔の裏打ち紙だった。
この紙は顔に浮いた脂をよく吸い取ることに加え化粧が崩れないことから撮影所や舞台で重宝されてた。

そして、大正10年頃 手帳型に加工して販売
たちまち映画関係者はもちろん花街の女性の間でも評判となった。

バイバイ

横に振るのじゃなくて 前後に振っていた・・・?
背中をアしてあげる意味があったそうです。本来は、それが正しかった。

明治、戦後辺りで横に振るようになってきた。

お寿司 なぜ二つ?

昔のお寿司は、大きかった・・・3倍くらい
それが大きすぎるので半分にしてふたつにしたから・・・

 

基本的には 作家 藤井青銅さんのお話です。

「日本の伝統」の正体

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